2014年1月11日土曜日

怪しい連絡先は先ず番号をググるが鉄則

私の親のところに架空請求詐欺のメールが来ました。私から見るといかにも詐欺詐欺しい文章なのですが、まあ高齢の人にはもっともらしくも見えますので、「ひょっとしたら、何か登録して退会するの忘れてるのがあるのかな・・」と、本人も正直かなり不安げで相談を受けました。幸い、先に私に連絡してくれたので被害は未然に防げました。

架空請求メールの見分け方について、社団法人日本調査業協会さんが以下のポイントをあげてくれていますので、非常に参考になります。

  • まったく身に覚えのない内容メール
  • 調査会社から「第三者から身辺調査の依頼を受けた」などという内容のメール
  • 宛名がないメール
  • 携帯電話からのメール
  • 抽象的な内容のメール
  • 最終通告という内容のメール
  • 「発信者端末電子名義認証」「電子消費者契約法」という言葉のあるメール
  • 「弊社は法的手続き、和解手続の代行を行っている調査会社です」という内容の言葉のあるメール
  • 「お勤め先、第三者への満額請求となります」という言葉のあるメール

とは言え、注意はするものの、やっぱり不安は残ります。最も簡単に詐欺であることを確信できる方法は、連絡をよこせという電話番号を検索することです。すると、検索結果から「詐欺注意」という言葉が多数見つかります。

鉄則は電話の前に先ずその番号を検索です。

2014年1月10日金曜日

年の初め、分数で考えると「今年こそは!」がサッサと始められる(かもね)

今日は1月10日。もし、私が「今年も残すところ、あと345日となりました」と言うと、「はぁ?たった10日しか経っていないのに、何言ってるの?」と、皆さんはきっと思われることでしょう。ところで皆さんの中で、新年を迎え「心機一転、今年は新たに○○を始めよう!」と思ってはいるものの、「まだ時間があるから、また後で。大丈夫、大丈夫。」という方は少なくないのでは?

誰もがみんな、1年という時間を有意義に使いたいですよね。でも、「なかなか取り掛かる気になれない」というときに、わざと自分に焦りを感じさせて、「はよ、始めんと!」と急き立てる数字トリックをご紹介します。それは、お正月から無為に費やした日数を分数にして考えることです。

例えば、今日は1月10日です。2014年のお正月から今日までに過ごした日数は、言うまでもなく10日間。これを年間の割合として分数にして考えると、10÷365で10/365(10分の365)となります。この10/365を約分すると、概ね1/37(37分の1)となります。つまり、10日間は1年という期間を37個に分けた、その一つ分になります。今年に入って、1年を37個に分けた1つ分の時間を既に使ってしまったことになります。つまり、これをあと36回繰り返したら、1年が終わってしまうことになります。こうして分数にしてみると、同じ10日間に対して全く違った印象を受けます。ちなみに、これがパーセンテージだと、10日間は1年の約2.7%となりますので、「まだまだあるわ」という風に受け取れるから不思議です。

特に最初の数日は分母の数字が恐ろしい勢いでガンガン減っていきますので、さらに焦りを感じさせてくれます。つまり、1月1日の1日に占める年間の割合は1/365。2日間だと2/365で約1/183。3日間だと1/122。そして4日間だと分母は既に2桁となり、1/91となります。1/365→1/183→1/122→1/91。何とも急激な変化です。

怠け者の私は、この考え方で自ら鞭を打ち、このブログを再開しました。ついつい先延ばしになってしまう新たなチャレンジ。今こそ分数思考で始め時です。



2014年1月9日木曜日

カツラは禿げる前からかぶろう

一定の年齢になると、髪の毛が薄くなってしまうことは自然の摂理として仕方がないことだと思います。ご存知のとおり、古来よりカツラはそれを補う手段として用いられてきました。特に女性と違い男性用のカツラは、ハゲ隠しとしてある種日陰の商品として、ずっと位置づいてきました。ちなみに男性用カツラを取り扱うお店は、必ず雑居ビルのエレベータに乗る必要がある階にあると聞きました。つまり、カツラを扱う店に入ることすら何かしら恥ずかしいという真相心理を表しています。

それにしても、別に悪いことをしている訳でもないのに、隠しているという不必要に後ろめたい気分を持つより、何事もオープンにした方が楽しいのではと考える私は、カツラについても違った考え方を持っています。

最近は中年を超えてもオシャレな男性がずいぶん増えています。そこで男性もカツラをハゲを隠すために使うのではなく、むしろ髪の毛にまだ余裕があるうちから、攻めのファッションとして、どんどん着用したら良いのではと考えています。すると、何も隠している訳ではありませんので、「カツラってバレたらいやだな・・」という気は一切起こりません。そうして普段から衣服を着替えるのと同じように、様々なタイプのカツラを気分やTPOに合わせて付け替えることで、自然とこの人はこういうオシャレを楽しむ人なんだと周りからは認識されます。そして、いざ自身の髪の毛が本当に薄くなったときにも、当たり前にカツラを付けることに対する抵抗が無くなり、周りの人達もいちいち気にさえしない状況になるのではと考えます。

さらに、男性がオシャレとしてしてカツラを積極利用することの副次的効果として、新たに男性用ファッションカツラ産業というのが成長するかもしれません。カツラのように繊細な商品は手先が器用でハイテクが得意な日本ではきっと素晴らしい商品が生まれてくるに違いありません。すると、それが世界で認められて、新たなCool Japanプロダクトとして輸出産業にまで発展していく可能性も真剣にあるのではと期待が膨らみます。

現在、私はFacebookの趣味の欄に「育毛」と記入していますが、その欄を「カツラファッション」と書き換える日はそう遠くありません。


2014年1月8日水曜日

読書の消化吸収を助ける3つのヒント

私の場合、特に意識している訳ではないのですが、仕事で調査やコンサルをやっているため、人より多くの本を読んでいるみたいです。Facebookで読んだ本の感想を書くせいか、久々に会う友達からよく、「凄い数の本を読んでるねー」と言われることが何度もありましたので、多分そうなのでしょう。改めてAmazonの購買履歴やらからザックリ数えたところ、昨年一年間はプライベートで50冊、仕事関連で50冊、計100冊くらいは読んだようです。
私は速読法は全くできません。ただ、本に書いてあることを少しでも効率的に吸収したり、引用したりするために、意識していることが3つだけありますので、何らかのお役に立てばと思い紹介します。


1.目次を時間を掛けてじっくり読み、一旦妄想する。
当たり前ですが、ほとんどの本は目次があります。先ず始めは、この目次を最初から最後までさーっと目を通します。次は、また目次の最初に戻って妄想を始めます。「この目次の言葉からすると、こういうことが書かれているんじゃないかな?」みたいなことを想像します。それを目次に書いてある各項目毎にやると、自分の中で読む前からその本について、勝手シナリオみたいなものが出来上がって、「ここが面白そう!」っていう章も浮かび上がります。つまり、書き手の立場になって、「こういうことが伝えたくて書いてるのではないだろうか?」と、あたりを付けます。実は意外と、この勝手シナリオや推測が当たらずとも遠からずのことが多く、それをあらかじめ持っているだけで、本文を読み進めるのが非常に楽になります。そして、もう一つのメリットは本文を読み進めいているうちに、妙に難しかったり、つまらないところに出会った場合も、面白そうなところは先にあることを知っているので、そこを割り切って飛ばしてしまうことに躊躇しなくなります。つまり、本の途中で挫折したり、無駄に停滞したりすることがなくなります。


2.付箋を張りまくる
一冊の本に書いてあることを丸ごと頭に残すようなことは、私のような凡人には到底不可能です。そのために重要な箇所に線を引くという方法もありますが、私の場合は本に線を引くのは勿体なくて気が引けます。それに、重要と思って線を引いた場所も、読み進めているうちにさほど大したことなかったりして、気が付けば本が線だらけになって、何が何やら分からんようになることもありますよね。そんなときは、やはり付箋が便利です。私が使っているのは、下の写真にあるように貼り付ける部分が透明なもの。100円ショップで売ってます。これだと、付箋を貼っても文字が付箋に文字が隠されるうっとおしさがありませんので、ドンドン貼っても大丈夫。それに、あとから重要じゃなかったなと思うページは付箋をはがしていけば、さらにポイントが絞れます。ちなみに、このタイプの付箋は薄いのでシオリとして本に挟み込んでおけば、別に持って歩く必要がなく便利ですよ。



3.感想をシェアする。
学んだことを理解して、記憶を定着させるのは、人に説明することが一番!「でも、説明なんて難しいし、恥ずかしいわ」と思われる方は多いでしょう。ここで、上の付箋が役に立ちます。付箋を貼りつけたページだけをもう一回読みます。すると、自分の心に残ったポイントが勝手に拾えるようになっています。後はこれをまとめて、Facebook等のSNSでシェアするだけ。SNSで親しいグループの友達ならば本について説明する気恥ずかしさも大したことはありません。シェアするときのポイントは限りなく短くまとめること。基本は、よく言われるエレベータートークと同じ要領です。自分が伝えたい相手にエレベーターのドアが閉まってから開くまでの時間で説明できるくらいの分量で、これはどんな本で、何が印象に残ったかを書きます。本当は自分でまとめノートを作るのがベストかと思いますが、何かとさぼりぐせのある私の場合、「人に説明しなきゃ」という状況を自分で作り出して、「えーと、何がポイントだったけかな」と咀嚼する努力をすることにしてます。それに、シェアすることで偶然に同じ本を読んだ友達から、違う観点でのコメントをもらい、立体的に中身を把握できることもあります。


いかがでしょう?よろしければ、皆さんも一度お試しくださいませ。

2014年1月7日火曜日

月をおいかけるGoogleデータセンターから学ぶ、グローバルな視点の重要性 

たまたま仕事でデータセンターの最新動向を調べていたら、「グローバルにものごとを考える」とは、まさにこういうことだなという事例に出会ったのでご紹介。

あらゆるネットサービスの要となるデータセンターはごくごく簡単に言うと、数えきれないほどのサーバーとネットワーク機器で構成されており、当然ながらそれらを動かすには相当の電力が要る。さらに悪いことに、それらの機器は熱を発するため、冷却用の空調設備も加わり、データセンターの消費電力は膨大なものとなる。つまり、この業界ではコストの面からも、環境保護の面からも、いかに消費電力を減らすかということが重要な課題となっている。その課題を乗り越えるため、各社はデータセンターを寒冷地に設置する、サーバーを水冷式にする等々、それぞれに最先端技術を導入しながら知恵を絞りあっている。

そんな中、Googleの課題に対するアプローチがひと際印象に残った。当然ながらGoogleは世界中にデータセンターを所有しており、それぞれの拠点で様々な節電対策を実践してる。そしてさらに、Googleは世界中にデータセンターがあることで、電力消費量削減へ一つの画期的なアプローチが検討可能になる。それは、データセンターを外気温度が低くなり、電気代が安くなる夜間だけ稼働させること。世界中にデーターセンターが存在すると、必ず拠点は昼の状態と夜の状態が混在している。つまり、日が暮れたらデータセンターを稼働させ、日が昇るころには稼働を停止させて、別の夜となった場所にあるデータセンターを稼働させる。そして、それを世界規模で順番に繰り返すことで、シームレスにサービスを提供し続ける。これを夜を月になぞらえて、「Follow the Moon(月をおいかける)データセンターマネジメント」と言うらしい。当然ながら技術的な課題があるので、どこまで実現されているのかはネットの情報からだけでは確認できなかったけど、この世界分業による最大効率化という発想が素晴らしい。

我々はついつい無意識のうちに、条件を頭から決めてしまって、目的と手段を取り違えて、本質を見逃してしまうことが多々ある。データセンターの例で言うと、課題の本質はトータルで電力消費を下げること。それがいつの間にかサーバールームをどうやって冷やすか、水冷か?空冷か?といった手段の議論に終始してしまいがち。
実は自分たちが必至で悩みこんで熱くなってしまっている問題も、一旦深呼吸して、スーッと地球が丸く見えるまで目線を引いて改めて眺めてみると、全く違う冷やし方が見つかるかも知れない。

出展:http://www.google.com/about/datacenters/inside/locations/index.html

宣誓

昨年は一度も書かなかったこのブログ、今年は再開します。
それも、毎日書きます。




前川純一

2012年11月17日土曜日

自分達の未来は自分達で創りたい


衆議院が解散しました。
一部の方にはお話しておりましたが、以前から私は次の衆議院選挙に立候補したいと思っていました。ただ、あまりに急な解散だったので、個人的にはタイミングが悪く実際に行動することは非常に困難な状態となっています。

それでも、いや、むしろそれだからこそ、
今の自分の思いだけは書き留めておきたいと思います。

私はどこの党にも所属するつもりはありません。
なぜなら自分自身が心から賛同する党などありませんし、
選挙に勝ちたいからという理由で勝ち馬に乗るために党の意見を優先し、
自分の考えをねじ曲げてしまうような卑しいことはしたくないからです。

私が一番やりたいのは日本の閉塞感を打開すること。
全ての人に、自分の責任のもとに努力すれば、必ず良い方向に向かっていくという
実感を持ってもらいたいのが私の願いです。

子供のころから、日本の政治はダメだダメだと聞き続けてきました。
そしていつしか大人になると、同じように育った友達達も口をそろえて、
ダメだダメだと言うようになりました。
そう、私も確かにこれではダメだと思います。

でもダメだダメだと言うだけだったら何も変わりません。
だったら、人に頼れないんだったら、大人なんだから人のせいにしてばかりないで
自分でやってみるしかないなと思うのです。

「政治家になりたいと思う」と話すと、それを聞いたほとんどの人は顔をしかめます。なぜなら、普通の人がいくら職業選択の自由だと言っても、単に勉強したり、努力するだけでは着ける職業ではないと知っているからです。

政治家になるは三つのバン(地盤、看板、鞄)が必要とよくいわれます。
一つ目の地盤は選挙区内の支持者の組織を指します。
二つ目の看板は知名度を意味します。
三つ目の鞄は札束が入った鞄、つまり多額のお金そのものです。

どう考えても、こんなのが全て揃っている普通の人なんて居るはずがありません。
だから、大多数の人々が現在の政治家に対して「特定の恵まれた環境に居る別世界の人」というイメージを持ってしまうのは仕方のないことだと思います。
そして、さらにマスコミが描き出す政治化像も手伝って、自分達には全く関係のない権力者層というのを自分達で勝手に想像し作り出しているのではないでしょうか。
つまり、自分達とは違う人達。政治をするのはそんな人達だ。
だから、自分達では国づくりには参加できない、自分達では国を変えられないという思い込みが深く根付いた状態となっているのではないでしょうか。

私は実はこれが、本当の意味で日本に閉塞感を作り出している元凶だと思っています。そして同時に、自分達もこんな条件だったらどうせ無理だと諦めて、思考停止してしまっているのではないかと感じています。

でも、本当に国づくりに参加することはできないのでしょうか?
本当に当選に必要とされるこれら条件は絶対なのでしょうか?

最初の地盤について、純粋に候補者を応援する組織があることは素晴らしいことと思います。
しかし、既存の団体の場合、なぜその候補者を支持するのでしょう?
それは、その団体にとって候補者が当選した場合、有利にことを運んでもらえるからという期待からであることはすぐに理解できると思います。
つまり特定の団体に便宜を図ること、これは本当の民主主義でしょうか?

次の知名度については努力を積み重ねた結果、自然と高まる名声は間違いなく誇らしいことです。
しかし、ただ有名であることは本当に信頼が置けるということでしょうか?
身近なビジネスの世界では雪印という企業がありました。NOVAという英会話教室もありました。そしてアメリカにはエンロンという企業がありました。
いずれも、それぞれ業界トップの会社でしたが、あっさりとその存在は消えてしまいました。
名前を良く知っているから、テレビでよく見る人だから、それが本当に民主主義を
進めていってくれる条件なのでしょうか?

最期のバンである鞄、つまりお金。正直、これが一番やっかいなモノだと思います。
有権者に賄賂としてお金を配るということをしなくても、選挙に出るだけで莫大なお金がかかります。
衆議院選挙の場合、立候補するためには供託金というお金を納めないといけません。この供託金というお金の額はなんと、300万円/人です。
確かにこれは有効投票総数の10%以上の票を集めると返納されます。
しかし、逆にその数に満たない場合、例えば有効投票数の9.5%だと300万円は戻ってきません。
普通の人にとって300万円というお金はとても直ぐに用意できる額ではありません。そして、当然ながら簡単にダメだったからと言って諦められる額でもありません。
何でこんなものがあるのか?それは選挙による売名や立候補乱立を防ぐためとだそうです。
では、民主主義の国ではこれは当然必要とされているものなのでしょうか?
実はアメリカ、ドイツ、イタリアには供託金制度はありません。
イギリスにはありました。額は9万円でした。カナダもありました。額は7万円です。
さて、これらの国々では選挙のたびに混乱し、日本よりも劣った民主主義になっているのでしょうか?
決して、そうは言えません。
それに供託金だけではなく、選挙事務所を設立するとしたらどんどんお金が必要になります。名前を連呼する選挙カーにだってお金がかかります。

この当選に必要とされる三つのバンは民主主義を押し進める個人の資質とは全く関係がなくむしろ、邪魔をしている要素であることは明らかです。
だったら、この3つのバンがなくても、知恵と工夫で何とかやりようがあるのではと私は考えます。つまり、誰もが参加しうる全く新しい方法で選挙に臨めないかと考えます。

例えば、時代の変わり目には、鍵となるテクノロジーが必ず存在します。
羅針盤によって大航海時代が始まり、活版印刷技術の発展でそれまで特権階級しか手にできなかった書物が普及しヨーロッパに宗教革命をもたらしました。
現在、私たちは情報を瞬時に入手できるインターネット、そして世界中の人と瞬時に繋がることができるソーシャルメディアを手にしました。
私はそれらがもっと、国づくりに活かされるべきだと思っています。

地盤や知名度はなくても、自分の考えに共感を持ってもらえる人々に直接メッセージを伝えることができるのではないかと。
そして、さらに一方的に伝えるだけでなく、もっと多くの人からも意見を聞くことができるのではと。
高いお金を出して選挙カーを借りて、人を雇ってまで迷惑であることを知りつつ赤ちゃんが寝ている横を大声で名前を連呼しながら走り回るのではなく、もっと上手に自分を知ってもらうことができるのではと。
しかしながら、日本では選挙におけるインターネットの利用やソーシャルメディアは公職選挙法に違反するとされています。
私はあえて、これらの問題を世の中に問いたいと思っています。

例えば、選挙に出るだけで300万円もお金がいること。
選挙運動にインターネットは使えないということ。
本当にこんな制度でいいですか?これが日本が良くなるために必要なルールですか?と。
ここから変えないと、結局は参加すべき人が参加できず、何にも変わらないのでは?ということを。

おかしいと思うことは、おかしいと思う人の手によらないと治りません。
なぜなら、これまでの人々はおかしいルールで勝ったのですから、その人達にとっては正しいルールだからです。自分にとって正しいルールを誰もあえて変えるはずはありません。

私にとって政治家を志すことは手段の一つであって、目的ではありません。
私が政治に参加することで、誰もが国づくりに参加することができるということを実感するきっかけや、変化を起こすことができるということを、みんなに知ってもらいたいのです。それさえできれば、同じような、決して特別でない境遇にいる、私よりもっともっと優秀な人々が、「あいつでも出来るんだから俺もできるに違いない」ということに気づいて、どんどん後に続いてくれるのではと信じています。

今、日本の閉塞感を打ち破るために一番必要なのはイノベーションであると私は思っています。イノベーションと言っても何も特別なことではありません。

私が全ての人に伝えたいことはとてもシンプルです。
これまで当たり前だと思って気づかないうちに諦めていたり、許容してしまっていた自分達の思考や行動を制限する社会システムは捨ててしまう必要があること。
そうすることで、未来は単に誰かを選んで任せるのだけではなく、自分達で創っていけるのだということ。

Let's do it. 私たちから始めましょう。

前川純一