2012年1月21日土曜日

Appleが次に革新する世界は「教育」そして「出版」

Appleが現地時間1月19日に新製品発表のスペシャルイベントを開催した。これまで、このスペシャルイベントでは毎回、Steve Jobsによって驚かされっぱなしであった。残念ながら彼はもうこの世には居ない。今回のイベントでは驚かせて欲しいという観点からは、やはり少し寂しさがあった。

それでも、今回のイベントで発表されたものは新たなディバイス(機器)ではないが、私としては非常に印象に残るものだった。

今回、Appleが新たに再発明(reinvent)しようとしているものは教科書。そして、教育・学習のあり方だった。

今回のイベントでは確かに、教育という現場で多数を占める「学ぶ側」が手にする教科書について、そのインタラクティブさを中心に多くが訴求されていた。iPadをインフラとした多くの画像や動画が活用された教科書の登場は、利用者にとって非常に歓迎されるものだろう。

意外と日本では知られていないがアメリカの教科書は、本当にでかくて重い。私は高校と大学院での教育をアメリカで受けた経験がある。事実、私が教科書を運ぶために使っていた鞄は普段日本では登山用に使っていた非常に大型のリュックだった。

アメリカのハイスクールではそのような分厚い教科書を何年にもわたってこれまで使ってきた。これでは毎日ちゃんと家に持って帰って予習復習をする訳はない。ひょっとしたらこれがアメリカの教育水準の向上にとってハードルとなっていたのかもしれない。

しかし、iPadをこれまでの教科書代わりに使うことは特段目新しいことではない。シンガポールなど教育先進国ではずっと先に全面導入を決定している。

私が注目しているのはむしろ、教科書を使う側ではなくて作る側のツール。もう少し別の言い方をすると出版する側ツールだ。AppleはiBooks Authorという新しいアプリケーションを発表し、その提供を開始した。それも無料で。このソフトは何も教科書を作るだけに限定されていない。つまり、いかなる分野の電子書籍も簡単に制作することができるように作られている。これで一挙に自分の本をつくり多くの人に提供するというハードルが下がった。

Appleは過去に、iPhoneアプリ開発においてDevelopers Kit を提供し、さらに簡単に作ったソフトを売る場所を提供することで、アプリの数を飛躍的に増やす事に成功し、結果的にそれらアプリに魅力を感じてiPhone利用者がさらに増える結果となった。

今回は書籍の番だ。ソフトウェア開発に比べて書籍を作ることはさらにハードルが低い。これまで紙の世界では例えごく少ない部数でも、自費出版するとなると最低でも何万円もした。これが自分が人に提供できるコンテンツさえ持っていれば限りなくゼロに近い費用で可能となる。

しかし、だからと言って、何でもかんでも出版されてしまってはAppleとして品質の管理がとてもできない。だから、これまで人に伝えることを得意とし、知的レベルも高い教える側の人に先ず電子書籍を作ることに参加させ、裾野を広げつつ電子書籍として質の高いコンテンツ充実を図ろうとしているのだろう。

それにしても、自分でほとんど費用を掛けずに簡単に電子書籍をつくり、出版ができる。こんな素晴らしい時代がつにやった来た。

今回も、Appleの時代を変えるすごさに敬意を表する。








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2012年1月19日木曜日

Facebook社CEOザッカバーグを発言させたSOPA・PIPAの重み

今朝、ザッカバーグ(Facebook社CEO)が自らFacebook上のフィードで発言していることに驚いた。それは抗議のためのWikipediaの一時停止にも繋がった、オンライン海賊行為防止法案「Stop Online Piracy Act(SOPA)」および「PROTECT IP Act(PIPA)」への反対の表明であった。彼の発言の原文は以下のとおり。
"The internet is the most powerful tool we have for creating a more open and connected world. We can't let poorly thought out laws get in the way of the internet's development. Facebook opposes SOPA and PIPA, and we will continue to oppose any laws that will hurt the internet. 
The world today needs political leaders who are pro-internet. We have been working with many of these folks for months on better alternatives to these current proposals. I encourage you to learn more about these issues and tell your congressmen that you want them to be pro-internet. "
以下、拙訳。
「インターネットはもっとオープンで繋がった世界を創り出すために、我々が持っているもっとも強力なツールである。我々ははこのよく考えらもせずに作られた法律でインターネットの発展を邪魔させてはならない。FacebookはSOPAとPIPAに反対し、インターネットを阻害するようないかなる法律に対して反対し続ける。 
今日の世界はインターネット肯定派の政治指導者を必要としている。私たちはここ数か月間、多くのこれら関係者たちと現在提案されている法案に代わる、より良い案について協議している。私は皆さんがこれらの問題について、より理解を深め、みなさんの代表である議員にインターネット肯定派となることを伝えてほしい。」
私が驚いたのは、ザッカバーグは単に抗議を唱えるだけでなく、読者に連邦議会の議員に対してインターネット肯定派(pro-internet)となる行動をすることを求めていることである。アメリカ人のほぼ全てが利用しているといっても過言でないFacebookの代表がこのような発言をすることには非常に大きな意味があると考える。

ザッカバーグはこれまで沈黙を続けていた。おそらく、自らが作り出したソーシャルメディア上での発言の影響力を認識し、自重していたと思われる。それが今回、明確に反対の意思とアクションを求める発言をしたことで、利用者は一斉に反法案側に活性化すると考えられる。それほど危機感を募らせていたのだろう。

今回の一連の件は、情報がこれまで通りコントロールできる・されるべきと信じている社会層と、情報を自由に世界中に発信できることが人類の権利と認識している層との闘争となる。これまでに無かった新たな闘争である。

まさに今が、新たな時代の変わり目に位置していることを実感する。しっかり目を見張って進展を見届けたい。


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どうマスコミと付き合うべきか

今日、元横浜市長の中田宏さんが書いた「政治家の殺し方」を読み終えた。過激なタイトルのもとで書かれているのは利権との闘い。

この本を読んで、特に気をつけないといけないと思ったことは、情報源としてのマスコミとの付き合い方。同氏は利権を持つものによるマスコミの利用について指摘する。

著者の中田氏は週刊誌に7週連続でスキャンダル記事を連載されたとのこと。週刊誌を自ら買うことのない私でさえ、新聞や電車内の雑誌広告で同氏に関する見出しだけは目にして記憶に残っていた。恥ずかしながら私の認識はそこで完全に止まっていた。
今回この本を読んで初めて、中田氏がその週刊誌に対して名誉毀損で全面勝訴していたことを知った。つまり、私の意識は「詳しいことは知らないけど、この人もダークなところがあるんだな」という、週刊誌の見出しから作り出された何となくのイメージのままであった。本文すら読まず記事の見出しのイメージだけで自分自身の思考を止めてしまっていたことに深く反省した。

ソーシャルメディアの普及でマスコミの影響力は弱まってきたとは言われるものの、それでもまだまだマスメディアは世論形成に重要な位置づけをしめている。それに、ネットで誰もが情報提供できるようになった分、私は逆に旧メディアの取材力に注目する部分もある。

物事の正しい理解のために、これからどうマスコミと付き合うべきかを改めて考える。先ず出来ることは、事象について漠然とイメージとして把握するだけはなく、自分の頭で常に理解する努力を怠らないことだろう。そのためには、書かれていることを決して鵜呑みにしない。そして、事象に関して複数の記事を読む。さらに、できることならば、各分野において信頼のおける情報筋を自分自身で持つということだろうか。




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2012年1月8日日曜日

「買う」から「作る」という発想の転換

お正月ということで、子供と凧で遊ぶことにしました。うちでは毎年、凧を自分で作ります。作り方はとても簡単。必要なのは新聞紙、竹ひご、そしてセロハンテープ少々。凧糸は焼豚を作る用に買ってあったものを借用しました。作り方は以下のとおりです。

  1. 新聞紙一面分を縦に半分に折り上から三分の一くらいのところに適当に直径20センチくらいの丸い穴をあけます。
  2. 竹ひごをバッテンの状態にしてセロハンテープで新聞紙の端っこに止めます。
  3. 5センチくらいの適当な幅に新聞紙を裂いて、足としてくっ付けます。
  4. 穴の空いたところで竹ひごを交わし、そこを凧糸でくくります。
どっかのサイトに紹介されていたものを参考に適当に作りました。制作時間は10分程度でしょうか。これが意外によく揚がるのです。

早速、近所の公園で「どっから見ても新聞紙」の凧を揚げていると、男の子を遊ばせに連れてこられていたママさんから「凄いですね、自分で作られたんですか?」「どうやって作るんですか?」と色々質問されました。どうやら、子供さんがちょうど凧上げをしたいと言っていたけど、最近は凧が売ってなくて手に入らなかったとのこと。一通り上に書いた作り方をさらっと教えてあげると喜んでおられました。

公園からの帰り道、そうか、たかが凧もいざお店で買おうとすると探すのが大変なんだなあと思って、家についた後に何気なくAmazonで「凧」と商品検索してみました。すると検索結果は何と803件!これじゃ、見つかったのは良いけど、今度は選ぶのが大変だ。それにしても、リアルの世界では「探す」ことが大変で、ネットの世界では「選ぶ」ことが大変。同じモノなのに皮肉な組み合わせだなあと思いました。

ありとあらゆるモノが溢れかえる現在、私たちは一つのモノを手に入れるために、探すことや、選ぶことでとても時間と労力を実は使っているように思います。凧揚げをするのに凧は当然必要です。でも凧を買うことは手段であって目的ではありません。凧を揚げるという行為を経験することが楽しいわけで、その楽しみをいかに最大化するかが大切だと私は思います。

今回、凧をささっと自分で作ったことで、それを買うために探しまわったり、選んだりする時間を節約することができました。そして、その分の時間を凧を揚げるという本来の目的に回すことができました。さらに、自分で作ったことによって、「今度は穴をこういう風にあけてみよう。ここにテープをしっかり貼って強度を保とう。」といった新たな工夫の楽しさも味わえました。そして、子供達が遊びにあきたら、新聞紙は古新聞入れに、竹ひごは取っておくとまた来年使えます。凧糸は洗って、次は本来購入された目的である、焼豚づくりの時の出番を待ちます。つまり無駄もありません。

本当に楽しむために、モノを「買う」から「作る」という発想の転換もありなのではないかと思います。



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2012年1月6日金曜日

書くことは戦うこと

2012年、今年一番最初に読んだ本は、曾野綾子さんの「貧困の僻地」。この本は著者が世界各地の極限的な貧困の現場を自らの目で見て感じたことを書いたレポート兼エッセイだ。私は小説を全くといって読まないけれど、小説家の書くエッセイは好んで読む。この本の中で最も印象に残ったのは以下の記述。
ものを書く人々は、一面でもっとも惰弱な作業に従事しているように見えるし、文章を書くという行為は、少しも雄々しくはないが、そこには一種の戦いにも似た緊張感があることも本当だ。
私は全くもって賛同する。自分がブログを書く理由の一つが人前で単に話すこととは違い、実名であえて後に残る文字として世に自分の考えをさらすことで、それに対する賛同・反論の両方を受け取る緊張感を保ちたいからだ。
緊張感の無いところには発展は無いと思う。女優の方々もデビューして、人に見られるという緊張感にさらされるからこそ奇麗になっていくという。

別に非難されてもいいじゃないか。自分自身で一生懸命に考えて、生きてさえいれば。



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米IBM初の女性CEO誕生に見る「変化への対応」

本日の日経新聞夕刊「ニュースな人ヒト」にバージニア・ロメッティ氏が掲載されていた。男女平等が唱われているアメリカでさえ、創業者を除き、女性社長の割合は決して高くない。2009年のデータではForture500社の中でも女性社長はたった12人しかいない。そんな中で、同社が性別に関係なく、本当に有能な人物を選んだことに私は敬意を表したい。
また、同記事によれば、IBMを世界的企業にしたトーマス・ワトソン・ジュニアは以下の言葉を残したとのこと。
「組織が移りゆく世界の挑戦に応えるには、信条以外のすべてを変える覚悟をもたねばならない」
これまで数々の危機に直面しながら、IBMが100年間経営を続けられたのはこの言葉そのものが信条としてあったからなのだろう。この言葉は現代においても、全く色あせていないばかりか、むしろ「組織」という言葉を「個人」に置き換えてもそっくりそのまま当てはまるのではないかと思う。
個人としても職業人として生き残るためには、常に激しく変化が求められる時代。だからこそ、どうしても譲ることができない自分自身の信条については、むしろ確固としたものを持つ必要があると実感する。



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2012年1月4日水曜日

C世代・ジェネレーションCが次の時代をリードする

日経新聞に元旦から「C世代掛ける」という連載が始まった。正月の記事に相応しく、これからの時代をリードするのはどういった人々かということにフォーカスしようとしている。C世代とは、この記事には説明する言葉として以下の記述があった。
コンピューター(Computer)を傍らに育ち、ネットで知人とつながり(Connected)、コミュニティー(Community)を重視する。変化(Change)をいとわず、自分流を編み出す(Create)。ジェネレーションC、未来へ駈ける。
これまで、C世代に等しいジェネレーションC (Generation C)という言葉については、Nielsenが2010年10月に行ったカンファレンスでDDB SydneyのDan Pankraz氏によって以下のような定義付けがあった。
Unlike Gen Y or Gen Z, Gen C is not an age cohort.  “Gen C are teens and 20-somethings that have been “hatched’ out of social media. What ‘C’ stands for has been widely debated. A few years ago it was about Generation ‘Content’ – now it’s about a multitude of things; constant connectivity, collaboration, change, co-creation, chameleons, cyborgs, curiosity. But most of all, Gen C is the ‘Connected Collective’ consumer,” Mr. Pankraz explained.  
【以下拙訳】 
ジェネレーションYやZと違いジェネレーションCは特定の年齢の集団ではない。「ジェネレーションCは10代後半から20代にかけてのソーシャルメディアから生み出された。Cが何を意味するのかは広く論争があった。数年前までそれはコンテントであるということであったが、現在は複数の意味を含んでいる。それらはコンスタント、コネクティビティ、コラボレーション、チェンジ、共同クリエーション、カメレオン、サイボーグ、キュアリオシティである。しかし、それらを総合すると、ジェネレーションCとうのはつながりあう集合的な消費者のことである。」とPankraz氏は述べている。
この引用の冒頭にあるように、ジェネレーションCとはジェネレーション(世代)という言葉が使われているものの、特定の年齢層をだけに限定されるべきものでは決してないと私は考える。
確かに現状は、ジェネレーションCを構成する大多数は生まれながらにインターネットを活用するデジタルネイティブと呼ばれる年齢層に違いがない。しかし、ジェネレーションCを生み出すのは単なる生まれた時期ではない。それらを生み出すのは普及するインターネット、情報端末であり、ソーシャルメディアである。現実、昨年一年を振返っただけでも、スマートフォンとFacebookを始めとするソーシャルメディアの普及は決して若年齢層に限ったものではなく、私の周りでも30代どころか、40代、50代、60代という年齢層にまで浸透してきている。つまり、ジェネレーションCの構成員は日々各世代において出現し、増え続けていると考えるのが正当ではないかと私は考える。

ソーシャルメディアを使い始めると、年齢を問わず、そこで人々は知人とのつながりを深め、自分が所属するコミュニティーの重要性を意識し始める。そして、さらにそこで、自分流のやり方・考え方について意見を求め、行動へと向かう。
元旦の日経記事に比較し、不足しているのはたった一つ「変化をいとわず」という部分だけ。

日経新聞に言われずとも、C世代・ジェネレーションCが日本の次の時代の牽引役になることは間違いない。それは決して、未来を若者任せにするということではなく、全ての世代、年齢層の人々が自らをC世代の構成員として自覚し、自分たちの手でこれからを築きつづける必要があるということ。

デジタルネイティブではない世代に足りないことはただ一つ。
それは「変化(Change)をいとわず」ということだけ。

あと一歩踏み出す勇気だけで、時代は変わります。



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2012年1月1日日曜日

門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし

新年明けましておめでとうございます。

タイトルの言葉は一休さんでお馴染みの一休宗純のものです。
一休さんが言うとおり、お正月が来る度に、人は死に向かって確実に一歩一歩近づいています。これにはどんな偉い人も、どれだけお金を持っている人も逆らえません。
「お正月から死ぬだの何だの縁起でもない」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
でも、私はだからこそ、家族そろって健康に新しい年を迎えることが出来たことに一層感謝します。そして、今年も一日一日を大切に悔いなく生きて行きたいと思います。

今年が皆さんにとって沢山の幸せを心から感じることができる一年でありますように。

今年もよろしくお願いします。



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