2011年9月11日日曜日

それぞれの9.11 10年目を迎えて

10年前の今日、自分はアメリカに居た。ボストンで大学院に通っていた。
その日は講義が昼からだったので、予習のために夜中にまで起きていたこともあり朝はいつもよりゆっくり目に寝ていた。そこで、日本からの一本の電話で起こされた。その電話の第一声は「飛行機がビルに突っ込んだが大丈夫か?」。「ん?」まだ寝ぼけていた私は、何を言っているのかさっぱり理解不能であった。ともかく「ここは大丈夫だよと」とだけ答えて早々に電話を切った。そこでテレビを付けてみる。すると、これまで想像もしたこともない不思議な光景が映し出されていた。WTCビルから煙が出ている。「何これ?」それしか頭に浮かばなかった。アナウンサーの言葉は飛行機がWTCにぶつかったということを悲壮な声で繰り返し伝えていた。ようやく日本からの電話とテレビの中の光景が完全に一致した。「大変な事故が起こったもんだ」と目を見張った。なす術もなくテレビを見つめていると、その次の瞬間、さらに信じられない光景が目に飛び込んだ。双子ビルのもう一つの棟に別の飛行機が突っ込んだ。私はとても自分の目の前で起こっていることを信じることが出来なかった。
その日はあまりの事態の大きさに、現地の学校関係はほとんど臨時休校となった。ところが私が通っていた大学は通常どおり開講するという選択をした。早い昼食を済ませ、これまで味わったことがない気分のまま私は大学へと向かった。通学途中のボストンの街並は、昼間にも関わらず、息をひそめたように信じられないほど静まり返っていた。アメリカでは全てのビルと言って良いほどに国旗が見られる。そのいつも誇らしくかざしているはずの全ての星条旗が半旗で掲げられ、ただ静かに風に吹かれていた。こんな悲しそうなアメリカは見たことがない、アメリカが泣いている。そう私は肌で感じた。
その日、大学では本来Strategy(戦略)の講義が予定されていたが、通常の授業などできるはずがなかった。静まりかえった教室で、教授は「今日の出来事について何か言いたいことがある人はいるか?」と生徒に発言の機会を与えた。いつも真っ先に発言する連中もこの日だけは黙っていた。ただ何人かが自分の感じたことをまとまらない口調で発言していた。不思議なことにその時、アメリカ人学生の言ったことは全く記憶していない。いまだに自分が鮮明に覚えているのは他の留学生仲間の一人が言った次の言葉だ。「今日の出来事は何らかの憎しみから起こったことだけは間違いない。これが何に端を発しているか振返って考える必要があるのではないか」。普段なら誰かの発言に対して必ずディスカッションとなるビジネススクールも、この日だけは誰も何も他の人間が発する言葉に口を挟むものはいなかった。
私にとっての2001.9.11はそうやって過ぎた。

その日からアメリカは変わった。特に外国人に対しての見方や接し方が変わった。それはこんな風な形でも現れた。その後、飛行機で国内を移動することがあったが、テロ対策ということで乗客数名が無作為に抽出され靴までぬがされるというセキュリティチェックをされるようになり、私も含め選ばれた人々の顔ぶれは全員見事にヨーロッパ系ではない外国人であった。特に一見してイスラム系とわかる人がいつも選ばれていた。恐らく、私の名前がHondaやToyotaだったら選ばれなかっただろう。

それから程なく、翌年に私はアメリカを離れた。そして、アメリカは対テロ戦争の深みに入って行った。9.11の悲しみはいつしかテロに対する怒りに変質していた。
私はもう、帰国してからは肌で911を感じることはできなくなった。

後日知った数字だが、アメリカは9.11で約3,000人もの犠牲者が出たという。さらにその後の対テロ戦争でさらに直接の被害者数の倍にあたる約6,000人のアメリカ兵が命を落とした。その一方、テロ支援国家とされたイラクとの戦争では現地民間人に多数の犠牲者を出すこととなった。その正確な数は分かっていないが、WHOの推計では約8万人と言われている。
そしてついに、
2006年12月30日 サダム・フセイン処刑
2011年5月2日 ウーサマ・ビン・ラーディン殺害
オバマ大統領はビン・ラーディン殺害を全国テレビ中継を通じて "Justice has been done"(正義はなされた)と宣言した。ホワイトハウス周辺やWTC跡地では数千の群衆が歓喜の声を挙げたという。

しかし、本当にこれで全ては終ったのだろうか。日付は定かではないが、アメリカがイラクに進行し、少なくとも8万人もの大切な人を失ったイラクの人達に、彼らにとっての新たな9.11を心に刻んでしまっていないだろうか。私は9.11直後、クラスでの友人の言葉をふと思い出す。

10年目の9.11にあたり、私はこれまでの10年間に起こったそれぞれの「正義」のために命を落とされた方々の冥福を只々祈ると同時に、人類の叡智がいつの日かこの悲しみと憎しみのスパイラルから抜け出せることを希望してやまない。

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