2011年5月31日火曜日

ネットリテラシー義務教育化の必要性について

先日、TechWave編集長の湯川さんにお勧めいただき、公文俊平さんの「情報社会のいま あたらし智民たちへ」という本を読みました。この本からは改めて自分がこれまで人類が経験したことがない大きな変革期におかれていることを再認識しました。そして、それと同時に不安な点が浮かんで来ました。情報社会での発信側のリテラシーの問題です。
これまではデジタルデバイドという言葉が関心を集めていました。どちらかというと、私の認識では、これはパソコンでインターネットを利用しメールやブラウジングできる人と、そうでない人とに生じる情報量の格差が問題でした。この問題は高齢化が進む日本ではまだまだ問題は山積みではあるものの、携帯電話の高機能化やiPhoneやiPadなどの誰にでも扱いやすい端末機器の登場で、テクノロジーが人に歩み寄る形でそのギャップを徐々に埋めてきているように見受けられます。
むしろ、私が不安を覚えるのはテクノロジーが進化したゆえに、子供でも簡単に好むと好まざるに関わらず、情報社会に参加できてしまうという事実です。これからケータイもスマートフォンが主流になり、子供が初めて持つケータイがスマートフォンになることも時間の問題でしょう。スマートフォンはその特性そのものは電話というよりも、むしろGPS付きのキーボードのいらない手のひらにのるパソコンのような存在です。「そう言えばスマートフォンって電話もできたっけ」というような代物です。私はたまたまこの業界にいますため、スマートフォンで何ができるのかは何とか理解していますが、まだお使いになられたことのない方々や、買うつもりさえない方々はどうでしょう?心理的なハードルが意外と高いのではないでしょうか。その反面、ゲーム機を使っている姿をご覧になられたらわかるように、子供はテクノロジーの順応性が驚くほど高いです。大人がすぐに使いこなせない機能や仕組みまでどんどん理解していきます。特にスマートフォンはその高い操作性で様々なソーシャルメディアをいつでもどこでも非常に使いやすくしてくれます。ご存知のとおりTwitterなどは、いとも簡単に瞬時に誰でもどこでも情報発信を可能にします。その使い勝手のよさを利用して、どんどん自分の発言をフォローアを始めインターネット上で公開できるのです。しかし、ここで気をつけて頂きたいのはメールとは違いTwitterなどは自分の発言を読むことができるのは自分のフォロアーだけとは限りません。さらにログとして残るため、世界中の誰もが過去の自分の発言が閲覧可能になります。つまり、その使い勝手にかまけて、ノリでつい不用意な発言を軽はずみにしたりすると、本当に後で取り返しがつかないことになります。
ソーシャルメディアは本当に素晴らしいコミュニケーションツールであると思います。しかし便利さと同時に自らが発言することへの責任やリスクも使う前にちゃんと子供達に教えてあげる必要があるのではと思います。子供達のご両親どちらかがそれを教えてあげることができれば問題ないのですが、正直すべての親にそれを求めるのは不可能であると考えます。
情報社会の到来で、産業構造、社会構造が変わりつつあります。今後、情報を真に活用できる人間こそが公文俊平さんの言葉をお借りすると「智民」として、新しい時代をつくりあげて行きます。子供達に新しい時代をスムーズに担ってもらうためにも、大げさに聞こえるかもしれませんが、私は真剣に小学校の段階から義務教育として正しいネットリテラシーを教える必要があるのではと考えます。

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