2010年11月18日木曜日

新聞の未来

今朝の日経新聞の見出しを見て目を疑った。その記事は大卒の内定率の記事だった。中身は私が今月13日(土曜日)に投稿したものであった。「え、まだ記事にしていなかったんだ・・」、正直な私の感想だった。私の情報ソースはネット。情報入手から後の工程が多い新聞に比べ人の目に触れるのが早いのは当たり前。別に新聞を馬鹿にするつもりも、自分の先見性を自慢するつもりは全くない。とは言え、今日は木曜日、もうちょっと違った掲載の仕方があったのではと思った。
そこで新聞の語源はとググルと、「新しく聞いた話」。そのまんまである。でも、テクノロジーの進化で情報の鮮度ではインターネットには絶対勝てない新聞。常々、新聞は今後どうなるのだろうと思っていたところ、先日とある新聞記者の方とカジュアルにお話する機会に恵まれた。そこで、その方に「新聞の生きる道は何であるか」という質問をしたところ、「取材力」ですと答えられた。「新聞はなぜそのことが起こったかという背景を聞いて取材し、探る力がある」と。なるほどと私は頷いた。
ところで私は新聞の夕刊が好きだ。いつも新聞は朝刊は読まずに、仕事が終わって家に帰ってから、先ず夕刊を読みそして朝刊に目を通す。それはインターネットで最新の情報が入ることが当たり前になり、知らず知らずの間に自分の中で新聞に掲載されている中身の新しさに期待しなくなっていたことに由来するかもしれない。朝刊は枚数が多くさまざまな情報が詰め込まれている。それに対し、夕刊は薄っぺらく記事も整然としている。その上、ニュースも朝刊に載っていたことがもう一度書かれていることも多く中身の新鮮さは乏しい。しかしながら、夕刊はエッセイや特集、書評などを簡潔かつ洗練された文章で私を楽しませてくれる。記事の中にネットではまだ得られない、新しい発見が多々ある。
人々が新聞に求めていることはこれなのではないだろうか。
これからも新聞社で働かれている本質を突く取材をする方々、よくまとまった文章を書く方々を私は応援したい。

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